2022年5月11日水曜日

女仙外史試訳メモ1

 以前に試訳した女仙外史第一回をFANBOXで公開しました。

第一回 西王母、瑶池に宴を開き 天狼星、月殿に姻を求める

  月の女神の嫦娥が天界で因縁をつけられて下界に降ることに成るわけですが、西王母が住まう瑶池の様子が描写され、斉天大聖となった孫悟空が登場していたりと、神怪小説・ファンタジー感たっぷりとなっています。

 第二回以降もとりあえずFANBOXで公開していく予定です。
 何といっても100回と長いので、長期戦ですが、まとまったら出版(電子出版含む)できたらなと思っています。  

 FANBOXでは、ほかにも下書きやメモ類を公開・先行公開していきます。応援していただけると、モチベーションが上がります。

2021年8月12日木曜日

続西遊記メモ1

 ■続西遊記

『西遊記』には、別の作者が書いた関連小説がいくつか残されている。

 主に、『続西遊記』、『後西遊記』、『西遊補』 などだ。

 このうち、『後西遊記』、『西遊補』は、翻訳、紹介された本があるので、『続西遊記』について翻訳がないか調べてみたところ、今のところないようだ。

『続西遊記』は、江戸時代には日本に入ってきていた。 

 清の嘉慶十年(1805)の本が残されている。

■馬琴などが酷評

 滝沢馬琴が批評を残しているが、一読すると、酷評そのものである。

 馬琴の「続西遊記国字評」が「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」で公開されている。

 馬琴によれば、清代の作で、作者はおそらく、評点と序に名前のある真復居士だろうとしている。(馬琴は、表題にある貞復居士ではなく、落款にある真復居士が正しいだろうとしている)

 理念と内容が一致していないだとか、ダブルスタンダードだとか、 『西遊記』で成果を得て仏になったのに、また悟っていないのと同じことをしているのは、『西遊記』の意図を理解していないだとか、蛇足だとか、女装が悪趣味だ、などなど。

 ただし、同じ文章の中で、『西洋記』にも、わずかに触れており、それよりはずっと高評価。

 また、依田学海が、『四大奇書・上』(博文館、1896-1909)の「西遊記考」の中で触れており、これも酷評。文意極めて鬱嗇して、その筋透らず。一巻を読みてもはや眠気をも催すべきもの、だとか、前記作者の意に背戻するを甚し、といったような書かれ方をしている。

 また、前編に続けて書かれるものであれば 、前編の遺漏を補うか、趣を易えるべきなのに、『続西遊記』には、それができていないという。一方、『後西遊記』は、文学としても高い評価を得ている。

『後西遊記』は、木村黙老からも高評価を得ていて、『続西遊記』『水滸後伝』『西洋記』等の上に出るとされている。黙老の「後西遊記国字評」は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」で公開されている。 

 前後して、久保天隨 述『支那文學史. 下』(早稲田大學出版部、18ーー)[早稻田大學四十三年度文學科講義録]の中でも、『後西遊記』は高評価を得ているが、『続西遊記』は「命意すでに拙、文辞極めて鬱嗇、まことに狗尾なり」と、学者間で、低評価であることに定評ができてしまっていたようだ。

■実は馬琴の評は酷評ではない

 ところが、馬琴の国字評は、一見酷評に思えるのだが、『続西遊記』曲亭馬琴「西遊記抄録」 解題と翻刻(上) によれば、実は、馬琴としては結構、好意的な評価だったようだ。

  西遊記のような重複がなく、淫奔なことを書いていない。後半五十回以降が、尤おもしろく思えたといった評価になっている。

 馬琴は、『続西遊記』を、「機心が動く→妖魔登場→機心が消えると妖魔も消える」という流れの反復として考えていて、心の放縦が妖魔を引き寄せるという『西遊記』では隠されていたテーマをはっきりさせた功績があると言っている。

 低評価だから読む価値がないと断じてしまわず、辛辣な批評で有名であったらしい馬琴が見るところがあると思った作品であるし、そろそろ評価が見直されてもいいのではないだろうか?

 ■概要

 三蔵法師一行が、天竺でお経をもらった後、またしてもさまざまな妖怪に邪魔されながら帰国する話。

 ただし、悟空は如意棒を、八戒はまぐわを、沙悟浄は宝杖を取り上げられて禅杖を渡され、殺生せずにお経を護送するように言われる。また、四人を見守るようにと、比丘僧の到彼と優婆塞(在家信者)の霊虚子が付けられる。

「如意棒はない。
 悟空、妖怪どうする!?」

 というところ。武器がないために、苦戦を強いられ、助けを求めに行ったり、お経の力を使ったり、到彼僧や霊虚子によって助けられたり、やはり武器を取りもどしたいと何度も盗みに入ったり、女装したり、あれやこれやで妖怪を退けながら、東をめざす。

■機変・機心

 帰り道でも妖怪が出てくるのは、悟空に機変の心が残っているから妖怪を引き寄せるのだとされ、八十八種の機心というのは、姦盜邪淫などなどと説明される。

機心」は、荘子・外編に典故を取っており、「機会があるから何かしでかす、何かしでかすのは機心があるから」というような解釈になると思われる。

 つまり、騙そうとする心、利益を得ようとする心、何かしでかそうとする心が、妖怪を引き寄せるから、それを克服しながら旅を続けるという事になる。


2021年8月11日水曜日

混元盒五毒全伝メモ

『 混元盒五毒全伝』または、「張天子収妖伝」。清代の版本しか残っていないが、おそらく成立は明代。

 版本、成立と発展等については、山下一夫「混元盒物語の成立と展開」参照。

『 混元盒五毒全伝』富経堂本と、後代の小説「聚仙亭」、燕影劇「混元盒」などを読むことができた。

 後代の小説「聚仙亭」(『聚仙亭全伝』)は、『 混元盒五毒全伝』富経堂本二十回を十回にまとめただけかと思っていたら、そうではなく、細かい部分が、だいぶ省略されたり、合理化されたりしていた。

 混元盒(こんげんごう)は、中に妖怪を封じ込めることができるふた付きの宝器。ただし、小説中には、混元盒の形や色に関しての記述はない。

 一部の風習として、端午の節句に、五種類の毒のある生き物を描いた五毒図を描いて壁に貼ったりすることがあるというが、「 混元盒五毒全伝」は、その由来譚となっている。

 五毒については、五種類とされてはいるが、何であるかは確定されていないようで、作中でも、ヒキガエル、サソリ、毒蛇、ムカデ、蜘蛛、ヤモリの六種類が 混元盒に収められている。

 燕影劇「混元盒」は、すでに「封神演義」の影響を受けており、冒頭から金花娘娘が「截教」だと名のっている。

 


2021年1月28日木曜日

緑野仙踪メモ1

『緑野仙踪』

 八十回または百回。長い。
 清代の神怪小説は、明代のものと違い、社会描写が強くなっている。

  戦前の抄訳である、山県初男、竹内克己 共訳『不老不死仙遊記』(1933年、立命館出版)を読んでいればわかると思うが、世情を描き出す筆から、『金瓶梅』と比較されることもある、かなり大人向け部分のある作品である。

 児童向けの翻訳である、奥野信太郎訳「緑野の仙人」(1956年、東京創元社「世界少年少女文学全集 東洋編」収載)で読んだ人は、全貌を知ったら、びっくりするかもしれない。

  百回本は、特に、描写が詳細なため、手書き抄本しか残っていない。

 八十回本は、出版された本が残っている。また、現在流通している刊本の多くは八十回本をもとにしており、百回本をもとにした刊本も、『金瓶梅』同様、問題になる部分を削除してある。

 百回の手書き抄本の影印は古本小説叢刊に収められているものなどがある。

 百回影印本では、主人公は「冷于氷」、倭寇の大将は「夷目妙美」となっている。

 出世の道を断たれた主人公が仙人を目指し、火龍真人から秘法を授けられ、各地をめぐって妖怪を退治したり、弟子を取ったり、人助けをしたり、戦争にかかわったり、貪官汚吏をこらしめたり、と修練していく。そのあちこちでの師弟や人々との関わりなどから、世のありさまが詳細に描き出されていく。


 

2021年1月23日土曜日

女仙外史メモ1

『女仙外史』

 百回。長い。
 作者は清代の呂熊(りょゆう)(字(あざな)は文兆、号は逸田叟) 
 嫦娥が下凡して、術によって民衆反乱を助けるなど、法術バリバリで女傑続出。読みようによっては、実はかなりエロティックな部分もあるのだが、明の永楽年間の唐賽児(とうさいじ)の反乱を描いたものと紹介されるのが一般的だろう。

『平妖伝』も『女仙外史』も歴史上の反乱をもとに神怪小説にしているのだが、『平妖伝』は何度も訳されているのに、『女仙外史』は江戸時代に未完の訳があるだけな理由は、長すぎる点の他、作者の知名度の差にもあるのではないだろうか?
『平妖伝』は羅貫中、馮夢竜といった著名人がかかわっていたので、売りやすかったのではないだろうか? 
 
 釣璜軒刊本から、いくらか題を試訳してあげておく。
 
第一回 西王母、瑶池に宴を開き 天狼星、月殿に姻を求める
第二回 蒲台県に嫦娥降世し 林宦家に后羿投胎する
第八回 九天玄女、天書七巻を教え 太清道祖、丹薬三丸を賜う
第十一回 小猴虎に変じて邪道真を侵し 両絲龍に化して霊雨旱を済(すく)う
第十二回 柳煙児身を捨てて鹿怪を賺し 唐月君国の為に蝗災を掃う
第十七回 黒風、盛帥の旗を吹き折り 紫雲、燕王の命を護り救う
第二十一回 燕王、千百の忠臣を殺し 教坊、幾多の烈女を発する
第二十八回 衛指揮、月明に寨を動かし 呂軍師、雪夜に城を屠る
第三十一回 驪山老姥、十八仙詩を徵し 剎魔公主、三千鬼話を講ずる
第三十三回 景公子、義により火力士を求め 聶陰娘、智により鉄監軍を救う
第三十四回 安遠侯、空しく三奇計を出し 呂司馬、大いに両路兵を破る 
第三十六回 唐月君、済南都を創立し 呂師貞、建文帝を議訪する 
第三十九回 美貞娘、美淫宮を殺し 女秀才、女剣侠を降す
第四十回 済寧州で三女、監河を殺し 兗州府で四士、太守を逐う
第四十一回 呂司馬、闕裏廟に謁し 景僉都、沂州城を抜く
第四十二回 僇敗の将、三王に禍を及ぼし 蠱謠の言、一剣に謀を生む
第四十四回 十万の倭夷、殺劫に遭い 両三の美女、奇勛を建てる
第五十回 蒲葵扇、虎豹遊魂を挙掃し 赤烏鏡、魑魅幻魄を飛駆する
第五十一回 鬼母、奎道人を手劈し 燕児、李豎を腰斬する
第五十四回 海を航り山を梯し、八蛮、貢を競い 天を談じ地を説き、諸子、鋒を争う
第五十六回 張羽士、天師府に神謁し 温元帥、霊猴使を怒劈する 
第六十一回 剣仙師、一葉にて貞姑を訪ね 女飛将、片旗にて敵帥を駆る 
第六十四回 方学士、片言で七令を折り 鉄先生、一札で諸官を服す 
第六十六回 譚都督、睢水を夾んで重営を立て 鉄元帥、浮橋を焚いて勍敵を破る
第六十八回 呂軍師、星を占って寨を抜き 谷藩王、讖を造って戈を興す 
第七十回 神通を逞しくし連黛、妖兵を統べ 風流を売って柳煙、偽主に服す
第七十四回 両首の詩を南陽草廬に題し 一夕の話に諸葛武侯を夢みる 
第七十七回 崗山を焼き伏卒を火で攻め 湘江を決し堅城を水で灌ぐ 
第八十三回 建文帝、君臣典礼を敕議し 唐月君、男女儀制を頒行する 
第八十四回 呂師相、奏して刑書を正し 高少保、請いて賦役を定める 
第八十五回 凶災を大いに救い刹魔、金を貸し 道術を小さく施し鬼神、粟を移す 
 
 軍記に法術が入り交じり、女仙・女傑たちが大いに活躍しているのがわかる。


2020年10月16日金曜日

江戸時代と『封神演義』、九尾の狐譚

 ■北斎が雲中子や雷震、照魔鏡を描いていた

 
『封神演義』まわりの研究も、少しずつ進んでいて、江戸時代の「武王軍談」「三国妖婦伝」「三国殺生石」といった作品群のことなどが話題に上っていたので、メモしておく。
『封神演義』が『春秋列国志伝』巻一と『武王伐紂平話』を下敷きにしていることは知られているが、さらにそこに江戸時代の関連作品もくっつけてみる。
 
 大英博物館に新たに収蔵された葛飾北斎の「万物絵本大全図」(1829)の中の一枚に、
 
雲仲子 / 照魔鏡ニテ妊狐ノ象ヲ見現ス / 雷震
 
という文字があって、仙人と大槌を持った若者が九尾の狐が映った四角い(縦長)の鏡をのぞいている絵がある。→画像へのリンク
https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_2020-3015-17  
高さ: 11.20 センチ、幅: 15.30 センチ というから、それほど大きな作品ではなさそうだ。
 
 江戸時代、滝沢馬琴(曲亭馬琴) は『封神演義』を入手していた。
 馬琴は、自分の作品に『封神演義』からも趣向を取り入れていた。
 馬琴は、『通俗武王軍談』を『封神演義』の訳だと勘違いしていた可能性があるという。
 

三宅 宏幸「曲亭馬琴『殺生石後日怪談』の生成 : 〈殷周革命説話〉の構想を軸に」

などを参照。
 
  江戸時代、『封神演義』自体は翻訳されることがなかった。
 だが、人々は紂王や妲己、太公望のことを知っていた。
「武王軍談」や「三国妖婦伝(三国妖狐伝)」といった話が知られていたからだ。
 むしろ、妲己(九尾の狐)は、玉藻前の前身として知られていたのかもしれない。
 
 私が気になったのは、「照魔鏡」である。
(あと、「雷震子」ではなく「雷震」になっている点も区別に有効だろう)
 
 雲中子が童子に命じるなどして照魔鏡で妲己の正体が九尾の狐(妖狐)であることを見ぬく、というシーンは、『封神演義』にはない。
『武王伐紂平話』にもない。
『春秋列国志伝』巻一にはある。
 他、江戸時代に刊行された、 「武王軍談」「三国妖婦伝」「三国殺生石」といった作品には、たいがい登場する。
「武王軍談」は、ほぼ『春秋列国志伝』巻一と一緒である。
 これが日本での、妲己(九尾の狐)が紂王をたぶらかし、武王が太公望を迎えて紂王を倒して周を建国するという物語の基本になったようだ。雷震子ならぬ「雷震」が登場し、哪吒や楊戩などは出てこない。
 さらに「三国」とつくのは、九尾の狐が唐から天竺に渡り、さらに日本に来たという三つの国の物語をまとめて、最後は玉藻の前になったというスケールを持っているからである。
 この三国にしたところは日本独自の発展だろう。
 中国では、神仙が戦う物語『封神演義』になり、日本では三国を股に掛け、九尾の狐は大忙しだ。
 
 
 別の点として、 北斎が描いた照魔鏡が、四角いことが気になった。
 そこで、各種の本に出てくる照魔鏡を集めて比較してみることにした。

 確認できた資料のおよその年代(見ているものが少なく、間違っている可能性もある)
 
『通俗武王軍談』(通俗列國志) 寶永2年刊(1705)のものもあるようだが、正確には不明。内容を確認したのは、明治20年に刊行された国会図書館蔵のもの。
『絵本武王軍談』(画本武王軍談)曲亭馬琴作・北尾重政画 寛政13年序刊(1801)
『絵本三国妖婦伝』 高井蘭山作 蹄斎 北馬画(1804)
『画本玉藻前』絵本玉藻譚)法橋玉山画(文化二刊(1805)
『三国妖狐殺生石』 五柳亭 徳升作 歌川 国安画(1830)
『本朝武王軍談』 十返舎一九(1833)

他に、照魔鏡が出てくる作品として、『絵本西遊記』(『絵本西遊全伝』)もあるので、参考にする。
 

『絵本西遊記』の照魔鏡

 
絵本西遊記』は、文政11(1828)刊のものが、早稲田大学図書館で公開(無断転載禁止)されていた。
 かなり傷んでいて、書き込みなどもある。
 照魔鏡は丸型。
 哪叱とされている哪吒が大人で、髭が生えていることや、顕聖真君と表記されている二郎神の形象も見ておきたい。哮天犬(吼天犬、細犬)は画面左ページの右下に、白い犬として描かれている。 
 他にも、関西大学図書館 中村幸彦文庫などにも所蔵されており、画像が公開(無断転載禁止)されている。
 いずれも、哮天犬は白い。
  おそらくこれを改編再録したのが
 国会図書館蔵の『絵本西遊記全伝』(口木山人 訳 東京金玉出版社 明16.9)
 
 
 およその構図やモチーフはほぼ一緒だが、哮天犬の位置が右ページ左下になり、犬の色も変わっている(白くない)。
 照魔鏡は丸型。 
 
 もし、絵の描かれた当時、『封神演義』が知られていたら、さすがに哪吒を大人にする事はなかっただろうと思われる。 二郎神も、髭もじゃにはされにくかったのではないだろうか。
 

 ■「三国妖狐伝」系物語の照魔鏡

 
 続いて、「武王軍談」「三国妖婦伝」「三国殺生石」といった作品群で、照魔鏡がどう描かれてきたかを見てみる。
 太公望が雲中子から照魔鏡を授けられるくだりもあるが、まず、最初に雲中子が照魔鏡で妲己の正体を見ぬくところを比較する。
 
 『絵本武王軍談』(画本武王軍談)曲亭馬琴作・北尾重政画 寛政13年序刊(1801)
国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開
 照魔鏡は見られない。 (文字では書かれている)
 
 
 
 『絵本三国妖婦伝』高井 蘭山作 蹄斎北馬画  文化元刊(1804)
 (国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開
 照魔鏡は丸型。
 

『絵本玉藻譚』えほんたまもものがたり  法橋玉山画(文化2刊(1805)
 (国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開 
 照魔鏡は丸型。
 

『三国妖狐殺生石』(国会図書館蔵)五柳亭徳升作 歌川国安画 文政13(1830)刊
 照魔鏡は丸型。
 

 
 『本朝武王軍談』 十返舎一九作 一勇斎国芳(歌川国芳)画(1833)(国会図書館蔵)
  照魔鏡は丸型。
 

 
 

 ■太公(太公望)の使う照魔鏡

 
 つづいて、 最後に妲己の処刑をするときに、正体を見ぬくために太公(太公望)が照魔鏡を使うところを比較してみる。
 このエピソードは『封神演義』および『武王伐紂平話』にはなく、『春秋列国志伝』巻一にはある。『武王軍談』にはある。 
 もともとは、「妲己を斬るように命じたが、処刑する者たちが美貌を見て殺すに忍びなくなり処刑できなかったため、太公が左右に命じて照魔宝鏡を掛けさせて照らすと九尾金毛の狐が映った」という内容である。これは、『春秋列国志伝』巻一と、『武王軍談』に共通する。
  
 確認できた資料の中には、処刑の時に妲己を照らして正体を見るエピソードが省かれていることもあった。また、太公望が雲中子から照魔鏡を授けられるシーンがあることもあった。
 
 『絵本武王軍談』(画本武王軍談)曲亭馬琴作・北尾重政画 寛政13年序刊(1801)
国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開
 照魔鏡で妲己を照らすエピソードは見られない。
 

 
『絵本三国妖婦伝』高井 蘭山作 蹄斎北馬画  文化元刊(1804)
 (国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開
 雲中子からもらった照魔鏡で妲己を照らすというエピソードが近くのページに書かれている。左にいる太公の左に九尾の狐の映った照魔鏡がある。照魔鏡は丸型。
 

 
『絵本玉藻譚』えほんたまもものがたり  法橋玉山画(文化2刊(1805)
 (国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開 
 照魔鏡のエピソードは省かれている。
 妲己のしかばねから白煙が立ちのぼり、その中に九尾金毛の妖狐があり、西に向かったことになっている。
 

 
『三国妖狐殺生石』(国会図書館蔵)五柳亭徳升作 歌川国安画 文政13(1830)刊
「せうまきやうをとりいだし…すがたをうつしみせしむる」と、「きうびはくめんのきつねとへんじ」とあり、照魔鏡で九尾白面の狐を映し出したというエピソードは書かれているが、絵の方には、照魔鏡は見られない。
 

  この先は明治時代のものがいろいろ残されているが、今回は江戸時代の受容についてなので、ここまで。
 
 今のところ、葛飾北斎の「万物絵本大全図」にあるような四角い照魔鏡は見つけられていない。雲中子と雷震が一緒に照魔鏡を見るというエピソードもない。おそらく、北斎の独創なのだろう。
 絵の中で照魔鏡に映っているのは、宮中とおぼしい場所に立っている狐の姿なので、妲己が宮中に入った後、雲中子が照魔鏡で妲己の正体が九尾の狐(妖狐)であることを見ぬくというエピソードを題材にしたのだろう。
 
 



 


 

2019年1月14日月曜日

西洋記を一部非公開とします

 長く続けてきた旅ですが、時代背景もあって、「西洋記」には人種差別的、暴力的、アダルトに近い表現などが含まれていると思われるため、一部を非公開とします。
 内容、表現などを配慮した上で、再開するかどうか、今後の課題とさせていただきます。